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「我々は騙されていたのか?」 「また来るぞ!」 「みんな離れて!」
ぐるぐる回る声。光。うねる風。揺れる地面。大きな音、音、音……。
長老オムイと師匠イザヤールに見守られながら、最後に星のオーラを世界樹に捧げた、守護天使ノーラはすっかり事態を見失っていた。
鈍いノーラは生まれてこの方、起きている事を100%理解出来たなんてない。しかし、こいつは極めつけだ。
先ほど天の箱舟らしき飛行物体を打ち倒した、正体不明の光線は未だ天使界を貫いている。ノーラはたまらず世界樹の根元に伏せた。地面が揺れ、立っていられない。舞い上がろうにも風が上から押さえつけてくる。
ノーラは何とか頭を上げて師匠の姿を捜した。師は隣で這いつくばっていた。ノーラと同じような、床掃除でもしているようなひざ立ち姿勢。
空を見上げる師匠の表情は天の箱舟の到着を見ていた時とは違い、警戒を通りこし、驚いている。呆然としながらも生真面目な厳しさで太い眉根にしわを寄せている。
お師様、眉ん所、しわになってます。そう言おうとした時、師がくるりとこちらを向いた。何かの予感があったのか。
気流の流れが変わった。今度は上から押し付けるのではなく、押し上げるように。
ノーラはイザヤールへと手を伸ばした。師も手を伸ばしていた。
手は届く事はなかった。視界から遠ざかる師の姿を見て、ノーラは自分が風に捕らえられたとやっと気付いた。
ノーラは何かを叫んだが、辺りの音で聞こえない。
瞬間、師の姿どころか天使界も見えなくなった。
ノーラの体は完全に気流に巻き込まれ、滅茶苦茶に振り回された。上も下も分からない。
いつも間にか目をつむっていた。風圧で目を開けていられない。耳元で風が狂った金切り声を上げる。
体中がきしんでいる。
痛いのは分かった。寒いのも分かった。
(対処せよ)
どうやって!
ノーラは指を動かそうとした。感覚はなかった。目をつぶっていても風で涙が流れる。冷たい涙に阻まれて、視覚は使えない。
(安全な軌道に入れ。安全を確保せよ)
翼も、何の反応も返して来ない。本当に減速出来ているのだろうか?
(抗え。対処せよ)
鳴り止まない自分の命令にノーラは必死で従った。
その日、天使界から地上へと、ノーラは頼りなく円を描きながら落ちていった。
■
ノーラは上機嫌で歌っていた。
「楽しい歌だね」
リッカが微笑む。
ウォルロの滝の音がここまで聞こえる。陽の光がまぶしい。
ノーラはにこにこと頷いて、また歌を再開する。
「あっ! 危ないよ!」
リッカの静止の声がするやいなや、ノーラはどこかに体をぶつけた。
「もう。まだ動いちゃダメだってば……。大丈夫?」
「……踊りたかったのです」
「もう少しの辛抱だよ。ノーラの踊り、私も見たいな!」
「はい!」
会話は続いたはずなのだが、記憶はこの辺りで途切れている。
どこでこの会話をしたかもノーラは思い出せなかった。
■
「……ラ! ノーラ! おい、聞いてんのか?」
男の声がして、ノーラはすがっている崩れた崖の成れの果てから顔だけ振り向いた。
数秒待っても男が何もしゃべらない為、前を向いて自分の作業に引き続きとりかかった。
でも、崖の土は取り除いても取り除いてもなくならない。土砂には所々埋もれた木が見え隠れしていた。
翼があったらこんな土山越えて行けるのに。もう無理な相談というものだ。私は飛べない。
リッカが、ウォルロ村の人々が困るのに。いっぱいお世話になっているというのに。
ノーラはめげずに土を手でかき出す。全然減る様子はない。
この道が塞がると何がどう困るのかノーラは思い出せなかったが、ともかく困るのだ……。
「ノーラ! しかとかよ!!」
頭をはたかれた。
「痛いじゃないですか、ニード」
そうだ。この人に名前はニードだった。目の前の若者の名前を言ってから思い出す。
「お前が遅いから悪いんだろ。ほら、早く帰るぞ」
「この土くれなんとかしなきゃなりません」
ノーラは土まみれの自分の体に初めて気付いて立ち上がった。
しまった。服を汚してしまった。適当に水を貰って洗おう。
前を見ると、ニードが珍妙な顔をしていた。
「この音が聞こえないのか?」
耳を澄ませば、何かの作業の音。反対側からたくさんの者が、ノーラとは比べ物にならないスピードでこの土くれを取り除こうとしているのだと気付くには少し時間がかかった。
「あれ?」
「さっき兵士が言ってたこと、聞いてなかったのかよ。後は兵士たちが片付けるって」
「そうでしたっけ?」
「そうなんだよ! 来ねぇと思ったら……。素手で掘ってるとかありえねぇだろ!
ったく早く来ねぇからズッキーニャがものスゲェ勢いで追っかけてきて怖かったっ……じゃない。えーと。そのだな。
た、隊列を乱すなよ!!」
勢いをつけ、ニードがノーラに背を向けた。だが、先に行く様子はない。ノーラが先頭に立つのを律儀に待っている。
「……おい。何笑ってんだよ! ホント気持ち悪りぃ奴」
「すみません。あの、ニード。私が気持ち悪いんだったら、リッカはどうですか?
リッカはニードにとって気持ちいいですか?」
「はぁ?」
ニードは髪をいじる手を止めた。
「私にとって、リッカはとても気持ちいいのです」
ニードの手がゆっくりと下りていく。と、その手がノーラの胸倉をつかんだ。
「お、おま、お前リッカに何をした!!」
「? 何もしていませんよ? あ、袖に土がくっつきますよ!」
「……。キメェ! コイツきめぇ!!」
今度は跳びすさって距離をとる。
ニードは面白い人だ。
ふとニードと天使の男の子は何が違うのか気になった。翼と光輪がなくなれば、両者の見分けはつくのか。ニードも、天使の男の子も面白くて、そして、ちょっといじわるだった。
また、その辺でノーラの記憶はうやむやになる。
■
ウォルロの村を離れて、やっつけられて逃げ行くモーモンの背中を見ながら、ノーラは気付いた。
帰ったら見聞きした事を長老オムイに報告しなければならない。
ノーラは立ち止った。
これから事はサンディが記録を取ってくれる。当然サンディが来る前のことはノーラが報告せねばならない。しかし。
「覚えてない……」
口を押さえうめく。思い出そうとしても、記憶は飛び飛びになっていて、記憶にない事の方が多い。
1人前のなれたと思ったのに何をしているのだ。
(お師様すみません。これから気をつけます……)
懺悔して、また気付く。
そういえば師匠はどうなったろう。天使界で最後に見たものが師のツヤツヤ頭だったのは何か滑稽なものを感じさせた。
彼はこれからどこかへ旅立つという話をしていた気がする。
ノーラは空を見上げた。空は興味なさそうに彼女の視線を素通りさせた。
師はどこかの空を飛んでいるのだろうか。
ノーラは何故か、天使たちも天使界も空の向こうで何事もなかったように暮らしているのではないか、と楽観していた。
自分は天使の中で1番若くて弱い。空から落っこちたのはトロい自分位のものだろう。
しばらくノーラはふわふわ漂う雲に見とれていたが、スライムに見つかって逃げ出した。
冒険、はじまる
11/12/14
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